日本における理学療法士誕生までの歴史

理学療法士は比較的新しい職種

医師免許規則が1883年、看護婦規則が1915年、薬剤師法が1925年にできたことと比べると理学療法士および作業療法士法ができたのは1965年であり、新しい職種と言えます。診療エックス線技師法(1951年)、衛生検査技師法(1958年)などとに次いで第二次世界大戦後に新しくできた職種の一つです。 [1] 。ここでは、日本において理学療法士が誕生するまでの歴史を見てみます。

[1] 都築正和: 近代病院における医療技術者. 人工臓器 4(6): 1975, 321-325

理学療法士が誕生するまでの年表

1921年 東京大学整形外科に術手という医療技術者を採用

整形外科医局長であった高木憲次先生は、後療法に術手の如きものなしでは不充分と考え、医療体操を行うマッサージ師、「術手」を設けるように内務省に対し申し入 れた。 [1] 武富由雄, 2015

近代日本における理学療法のルーツの一つは、整形外科手術の後の治療としての「後療法(こうりょうほう)」にあると言えそうです。後療法として、医療体操、つまり現在でいうところの運動療法、そしてマッサージが行われていたものと思われます。

[1] 武富由雄: 歩んだ理学療法士の道程50年. 理学療法学 42(8): 2015, 744-746

1926年 東京大学医学部に内科物理療法学(通称、物療内科)という講座を開設

内科物理療法学の前身であった物理的療法研究所が1916年に設置され、文献 [2] によると「主として水療法を行い、簡易的な電気マッサージも行った。」と記されています。1916年に設立された物理的療法研究所は、あの有名な夏目漱石が亡くなる前まで看病されたそうです。今で言うところの緩和ケアに当たる診療が行われたのかもしれません。

物療内科はあまり権威的ではなく、様々な分野の研究者を容認したようで、様々な分野の研究者が在籍し、医学統計などの研究も盛んであったようです [3] 。内科物理療法学講座も近代日本における理学療法のルーツの一つと言えるでしょう。

[2] 東京大学医学部附属病院 – 東大病院だより – 東大病院だよりNo.55: pp8-9

[3] 公益財団法人 痛風財団 – 理事長通信 – 第110号 創成期の日本の統計学と東大物療内科

1942年 整肢療護園が開設(高木憲次)

東京帝国大学に整形外科が開講されたのが1906年で [4]、その当時から肢体不自由児の治療が行われていました。しかし、対象者は子どもであり治療期間が長く、治療と教育を並行して行わなければならない状況に苦慮しいたようです。その後、高木憲次氏らの尽力により、1942年に整肢療護園が開設されました。整肢療護園が開設されるにあたって、1921年に日本最初の肢体不自由学校柏学園を設立した教師であり、またマッサージ師であった柏倉松蔵氏の役割も大きかったようです。マッサージ、医療体操、練習治療法などを取り入れ、病院風のリハビリを学校風に変えて療育体操を実践されたそうです。[5] [4] 東京大学整形外科学教室 – 整形外科について 沿革

[5] 心身障害児総合医療療育センター – センター紹介 – 整肢療護園 – 整肢療護園の歩み

1948年 日本医療マッサージ師会(現在の全国病院理学療法協会)が発足

これまでの歴史をみても、理学療法の前進としてマッサージの比重が大きかったことが分かると思います。

1965(昭和 40)年に理学療法士及び作業療法士法が制定されたが,それ以前には医療類似行為者(鍼灸マッサージ・柔道整復師)が理学療法従事者としておもな医療・更生・小児施設などで勤務していた。 [6] 奈良勲, 2016

[6] 奈良勲: 理学療法の歴史を紐解いて. 理学療法学 43 (Suppl 1): 2016, 6-8

このころの日本には、理学療法という言葉はまだなく、1947年に、「あん摩マッサージ指圧師,はり師,きゅう師,柔道整復師等に関する法律」が成立し、同年、『全国の病院や診療所などの保険・医療機関で理学療法に従事する者の学術団体「日本医療マッサージ師会」』 [7] が発足したそうです。

[7] 全国病院理学療法協会近畿地方会 – 協会の沿革

1959年 厚生省に機能療法及び職能療法に関する研究会が発足

すでに西洋では理学療法士や作業療法士が存在したことから、日本でもこれらの職種を創設すべく研究会が発足しました。この当時は、理学療法=機能療法、作業療法=職能療法と表現されていたことは興味深いです。この後、1963年に医療制度調査会が「医療制度全般についての改善の基本方策に関する答申」を厚生大臣に提出しました。この答申のなかで、理学療法士・作業療法士の教育および業務内容の確立等について、制度化の必要性が指摘され、同年、「PT・OT身分制度調査打合会」が発足しました [8][9] 。

[8] 日本理学療法士協会 – 会員専用コンテンツ – 新人教育プログラム資料 – A-5 理学療法における関連法規(労働法含む)

[9] 藤澤宏幸: 理学療法士養成における教育制度の国際動向と今後の展望. 理学療法の歩み 17(1): 2006, 24-31

1961年 厚生白書に理学療法または作業療法にたずさわる専門技術者が著しく不足していると指摘

上述の機能療法・職能療法研究会の発足など、1960年前後に日本でもリハビリテーションという言葉が頻繁に出てくるようになります。1961年度(昭和36年度)版の厚生白書 [10] には以下のようにリハビリテーションの重要性が指摘されています。

わが国保健衛生制度の発達をふりかえるとき、まつ先に治療医学が、次いで予防医学がそして近年ようやくリハビリテーシヨンがその発達の緒についた現状において今後いかにこの三者を協調発達せしめて国民の要望にこたえるかが今後の問題であるが、ここでリハビリテーシヨンのあり方について一言しておこう。欧米先進諸国においては、この事業は、戦争中から長足の進歩を示し、医療保障の最終段階として人的資源の活用と社会の福祉に大いに貢献しているが、これはこれらの諸国においては多くの疾病が予防可能となつて健康の水準が向上し、重症患者も治療医学の進歩の結果死亡しなくなつて、リハビリテーシヨンに対する社会的要求が高まつたことおよび経済的社会的進歩によつて身体障害者に要求される教育的職業的水準が高まつたことなどがあげられよう。この事業は、治療、予防に続いて、「第三の医学」と呼ばれているように、医療保障の分野においては、しめくくりをなす仕上げの段階であり、生活保障の面では、障害により所得を中断された者の社会的更生という積極的な内容を持つのであるが、まだその発達の歴史は浅く、なすべき多くの事が残されているのである。

厚生白書(昭和36年度版)

また、この厚生白書では、

リハビリテーシヨンに要する費用の負担方法、専門技術者の養成など今後に 残された問願点は多いのである。

厚生白書(昭和36年度版)

とも記されており、理学療法士などの専門職種の養成が必要であることを示唆している内容と思われます。

[10] 厚生労働省 – 厚生白書(昭和36年度版) – 第二章 変動する社会における諸問題と厚生行政

1963年 国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院が開校

日本でもリハビリテーションの専門家として理学療法士や作業療法士を養成する機運が高まり、1963年に日本で初めての養成施設である国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院が開設されました。所在地が東京都清瀬市であったため、「清瀬」と呼称されることが多かったように思います。理学療法士及び作業療法士法が成立したのが2年後の1965年ですから、法律ができる前に入学された1期生、2期生の方の意思はものすごいものがあったのだろうと感じます。

当時の学校の状況について日本理学療法士協会のホームページには以下のように記載されています。

戦後日本の理学療法士養成は、WHOなどの援助のもとで始まりました。当時の日本には理学療法士養成に必要な教科書や人材が不足していたため、欧米のものをそのまま使用するかたちで養成が行われました。 そのため、教員はアメリカやイギリスからの招聘、当然講義もすべて英語で行われました。教科書も英語で書かれたものを使用しました。日本人による教育が行われるようになったのは、1970年代以降のことです。 [11] 公益社団法人日本理学療法士協会

国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院は、歴史的にその役目を終えたからなのか、2008年に閉校になりました [12]。

[11] 公益社団法人日本理学療法士協会 – 理学療法の日とは?

[12] 医学書院 – 週刊医学界新聞 – さよなら,東京病院附属リハ学院: 日本最初のPT・OT養成校。最後の卒業式で歴史に幕

1965年 理学療法士及び作業療法士法が成立

理学療法士法及び作業療法士法については、こちらをご参照ください。

1966年 日本理学療法士協会が設立(設立された7月17日は理学療法の日)

昭和40年、理学療法士について定めた法律「理学療法士及び作業療法士法」が公布され、翌年、第1回理学療法士国家試験が実施されました。この試験に合格した110名の理学療法士によって同年7月17日に結成されたのが、日本理学療法士協会です。理学療法の日は、この日本理学療法士協会結成の日にちなんで制定されました。 [13] 公益社団法人日本理学療法士協会

[13] 公益社団法人日本理学療法士協会 – 理学療法の日とは?

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理学療法の位置付け | KOTA's Lab.

[…] 日本における理学療法誕生までの歴史でも触れていますが、理学療法士という職業が誕生する前から整形外科の手術後に治療体操や物理療法が行われていました。当然、今でも整形外科の手術後に行う理学療法は重要です。 […]

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